北斎の描いた日本の美しい森羅万象の姿に魅了され、欧米に湧き上がったジャポニスム旋風
二十世紀初頭、イギリスの鳥類学者、植物収集家、庭師であるコリングウッド・イングラムは、日本から様々な桜を輸入し、英国ケント州ベネンドンにある邸宅、ザ・グランジに、桜の庭園を造園。
その中に、まだ学術名の無い桜を見つけ、自らが尊敬をする葛飾北斎に因んで「Hokusai(ホクサイ)」と命名しました。
(1925年イングラム著:notes on Japanese Cherries 論文より)
Hokusai
日本古来の種の保存に尽力したイングラム氏
欧米のジャポニズムブームとは裏腹に、千年以上の月日をかけて多種多様の桜を育ててきた日本では、明治以降の近代化の流れの中、桜は染井吉野一色に姿を変えていきました。
そんな1926年当時、社交場でもあった帝国ホテルで開催された桜の会(渋沢栄一初代会長)に、イングラムは招待されます。彼はその時に日本の桜の危機を訴え、自らの桜園にある日本で絶滅をした品種の里帰りを約束しています。帰国後も日本に存在していた様々な桜の絶滅を危惧し、数多くの古来の桜を日本から輸入し、種の保存に尽力しました。北斎桜もその一つと言われています。
その桜が、イングラム氏によって、世界で最も人気のある日本人、“北斎”と名付けられたことは、単なる歴史の偶然ではないように思えます。
北斎桜との出会い
ロンドンに詳しい友人を通じ、『チェリー・イングラム〜日本の桜を救ったイギリス人〜』(阿部菜穂子さん著)の本と出会い、北斎桜の存在を知ることになりました。
そのことがきっかけとなり、この鶴嶺の地にお迎えすることとなりました。
苗木について
北斎桜の苗木は、世界遺産英国「キュー王立植物園」を起源とし、日本花の会(茨城県結城農場)を経てこの鶴嶺の地に里帰りをしました。日本と英国を結ぶ重要な桜であり、古来から命を紡いできた日本の桜を守る、重要な役割を担った日本では数ヶ所にしか存在確認されていない、とても稀少な桜です。令和一年に十年ものの北斎桜と出会い、地元茅ヶ崎に第一号の植樹をすることとなりました。それ以来、元気に育っています。
北斎桜の題字
北斎桜の書は、中野千秋先生による作品です。
中野千秋先生とは、北斎を通して知り合ってからすでに7年以上の月日が経っている北斎シード仲間です。多くのお弟子さんを抱える書道家でもあり、また海外でも活躍をする墨アーティストです。福島人気酒造さんからご依頼頂いた北斎ラベルの書に始まり、2022年アルザスでの北斎展では、北斎漫画のキャラクターに合わせた書をいただき、展示用のバナーを作成したのですが、現地でとても好評で、バナーを欲しいという方々が多数いたほどです。
中野書道會ウェブサイト:http://sho-works.jp/
植樹とプレート
北斎桜の大切な歴史を継承するために、北斎桜と共に設置するプレートをお勧めいたします。
植樹に関するお問い合わせやご依頼に関しては、下記までお願いいたします。
新髙コーポレーション株式会社
〒253-0086 神奈川県茅ヶ崎市浜之郷445
TEL. 0467-53-7035