北斎が影響を与えた事象
米国「ライフ」誌に選出された唯一の日本人としての北斎
1998年に米国「ライフ」誌が企画した「この1000年間に偉大な業績をあげた世界の人物100人」で、唯一北斎だけが日本人として選ばれています。その主な理由は、一般ではあまり知られていませんが、北斎がフランスの印象派に与えたのが大きな理由です。北斎の絵画に対する感性は、その後大きな文化的旋風となり、フランスから始まったジャポニズムへと発展していきました。
北斎は日本が世界に誇る、日本最大のブランド資産
2010年頃、北斎の名前が何度も繰り返し出てくるジャポニズムの講座を聞きながら、北斎は日本が世界に誇る、日本最大のブランド資産であることに気づきました。
その頃から北斎を中心に私どもの活動が回り始め、北斎シードが拡散し、いろいろな方々と北斎を通じてお会いすることとなりました。その動きは自然に流れ、北斎村の開村に繋がり、さらに北斎のグレートウエーブのように大きな波として、世界へと波及していくことを願っています。
◉出典元:米LIFE誌のミレニアム特集で、日本人で唯一「偉大な業績をあげた人物」に選ばれた北斎。(撮影:「北斎今昔」編集部)
https://www.adachi-hanga.com/hokusai/page/know_9
アダチ版画研究所ウェブサイトより
北斎の人物像
◉出典元:弟子の渓斎英泉作の北斎肖像画「為一翁」(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵『戯作者考補遺』より)
江戸時代に活躍した浮世絵師としての北斎
彼の作品はどれも唯一無二のものばかりですが、中でも彼が描いた、富嶽三十六景「神奈川沖浪裏」、通称「グレートウエーブ」は、レオナルド・ダビンチのモナリザと並び世界で最も人気のある絵画の一つとして語られています。
世界を魅了し続ける北斎マジック
◉出典元:葛飾北斎が描いた可能性が高いとされる油絵(ライデン世界博物館の日本コレクションより)
数年前にオランダのライデン博物館を訪れたときに、北斎などジャパンコレクションが保管される倉庫を特別に見せていただく素敵な機会がありました。そこにはまだ封が開けられていない北斎の箱も多々ありました。
鎖国で閉ざされていた日本で活躍をした北斎。
住所不定となるほど引越しを繰り返し(93回)、名前を30回も変えた不思議な画狂老人の北斎。
日本最大級の寺子屋ネットワークを活用できた教育者北斎。
彼の描いた絵本・漫画は情報伝達、そして教材としての役割を持っていたとも言われています。謎の多い北斎とシーボルトの関係がありながら、不思議にもシーボルト事件からの難を免れた北斎。そんなミステリアスな北斎は、探求すればするほど魅了されていく、不思議な人物です。この北斎マジックを皆様にも感じていただきたく、この度北斎村を開き、皆様のお越しをお待ちしています。
北斎と印象派・ジャポニズム
◉出典元:フィンセント・ファン・ゴッホの油絵
《カフェにて「ル・タンブラン」のアゴスティーナ・セガトーリ》
ファン・ゴッホ美術館蔵
©Van Gogh Museum, Amsterdam
(Vincent van Gogh Foundation)
ゴッホの場合
ゴッホは、1886年春にパリへ移住。そこで日本から来た「浮世絵」と出会うことになります。特に古美術商サミュエル・ビングのギャラリーの常連になると、ゴッホはビングのもとに通い、浮世絵作品を研究し尽くしていました。そして研究では飽き足らず、弟テオと共に日本の浮世絵作品を400点以上収集し、パリの「ル・タンブラン」カフェで浮世絵の展覧会までも開催しています。
1888年7月29日に弟のテオに宛てた手紙で、ゴッホは次のように書いています:
"All my work is based to some extent on Japanese art... Japanese prints make you feel as if you are looking at a landscape through a window, and this is how I see the world. Even though I live in the South, it is as if I am in Japan. I see in my imagination the outlines of those mountains, the bamboo, the reeds, the pink blossoms of the cherry trees. Seeing the waves on the sea, the wonderful green and blue tones, reminds me of Hokusai's waves."
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日本語訳: 「私のすべての作品は、ある程度日本の美術に基づいています... 日本の版画は、まるで窓から風景を見ているかのように感じさせます。私が南フランスに住んでいても、それはまるで日本にいるかのようです。私の想像の中には、あの山々の輪郭、竹、葦、桜のピンク色の花があります。海の波、素晴らしい緑と青の色調を見ると、北斎の波を思い出します。」
多くの印象派の巨匠が北斎に憧れを示していました。その中でもゴッホは北斎への憧れを強く表現をした一人です。彼は北斎についてこう書いています。日本の浮世絵に見る光を求めて、ゴッホは南フランスのアルルへと活動の拠点を移し、ゴーギャンなど他の作家たちがそこに集まることを期待していた希望の時期でした。
"Hokusai says, “there is always hope.” That’s a wonderful lesson to learn, to find hope even in the most challenging situations. His work has taught me to find beauty and hope in simplicity and nature."
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日本語訳: 「北斎は『希望はいつもある』と言っています。これは、最も困難な状況でも希望を見つけるという素晴らしい教訓です。彼の作品は、シンプルさと自然の中に美しさと希望を見つけることを教えてくれました。」
またその数ヶ月後には、画狂人北斎について語っています。ちょうど、ゴッホがゴーギャンとの同居に失敗し、自らの左耳を切り落としてしまった日から1ヶ月後のことです。ゴッホが北斎を慕い、師事していたことがよく分かります。これが北斎が持つ、不思議な力なのです。
"Hokusai is an old man mad about drawing. He did the Great Wave when he was seventy. That’s a testament to the enduring passion for art and the ability to create masterpieces at any age. I aspire to have such dedication and perseverance in my own work."
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日本語訳: 「北斎は絵を描くことに狂った老人です。彼が『神奈川沖浪裏』を描いたのは70歳の時でした。これは、どの年齢でも傑作を作り出す能力と芸術への持続的な情熱の証です。私も自分の作品においてそのような献身と忍耐を持ちたいと思います。」
◉出典元:ポール・セザンヌの油彩《サント=ヴィクトワール山》(フィリップス・コレクション、ワシントンD.C. The Phillips Collection, Washington, D. C.より)
セザンヌの場合
In scholarly discussions, it has been noted that Cézanne was deeply affected by the compositional styles of Japanese ukiyo-e artists like Hokusai. He admired the way Hokusai drew Mt. Fuji from various angles, which influenced Cézanne's own series of paintings depicting Mont Sainte-Victoire. Cézanne's adaptation of natural forms and his approach to framing landscapes with trees are seen as reflections of Japanese artistic techniques.
Furthermore, the comparative analysis between Cézanne’s works and Japanese prints suggests a significant integration of Japanese aesthetics into his paintings. For example, Cézanne's "ruthless simplification of form" and the use of natural compositions without sharp contour lines show a clear influence from Hokusai’s teachings .
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日本語訳: 「学術的な議論においても、セザンヌが北斎を含む日本の浮世絵師の構図スタイルに深く感銘を受けたことが指摘されています。セザンヌは、北斎が富士山をさまざまな角度から描いた方法を賞賛し、自身のサント=ヴィクトワール山の連作にもその影響を受けました。セザンヌの自然の形態の適応や、木々で風景をフレーミングする手法は、日本の芸術技法を反映しているとされています。
さらに、セザンヌの作品と日本の版画の比較分析は、彼の絵画における日本美学の顕著な統合を示しています。例えば、セザンヌの「形の徹底的な簡略化」や、輪郭線を使用しない自然の構成は、北斎の教えからの明確な影響を示しています。」